ムヒカ氏が最も訪れたかったという場所、広島市の原爆ドームに到着で「ここに来ることは、義務であり、光栄なことです。若い世代が(原爆のことを)忘れないように、貢献していきたい」と述べられたそうです。
広島平和記念資料館では、沈痛な面持ちで、当時の資料や写真を見学し、館長さんが「皆さん、やけどした。爆心地から半径2km圏内、一瞬にして、火の海に達しました」と話すと、ムヒカ氏は言葉を失い沈黙したそうです。
そして被爆した当時の町のジオラマを前で出た言葉は「全て焼けてしまったんだね」だったそうです。
「人間は同じ石でつまずく唯一の動物」
「倫理がない科学は、考えられないような悪の道具になり歴史は、人間が同じ石でつまずく唯一の動物と教えている。私たちはそれを学んだだろうか」と記帳。
館内を案内した志賀賢治館長に「科学者が悲惨な結果を招くと知りながら原爆が落とされ、心が痛みます」と述べられたそうです。
広島でムヒカ氏が最後に語った言葉
「原爆を作った男は、非常に頭のいい男でした。原爆を作ることで、どういうことが起きるかわかっていました。
でも、自分自身にブレーキをかけることができませんでした。
人間はばかげたことをするものなんだ。
科学には、まだ多くの使命が残されているが、倫理観が欠如すると、悲劇を生むのです」
私たちは世界で唯一の被爆国として同じ悲劇が世界で起きないためにも、若い世代にメッセージを紡いでいく使命があると教わった気がします。
http://www.fnn-news.com/news/headlines/articles/CONN00321249.htmlwww.fnn-news.com
人生折り返しに差し掛かって
人生を84年として仮に捉えマラソンで例えたならば私は丁度、折り返し地点に差し掛かっている気がします。
正直、私がビジネス・事業家はあまり向いておらず💦
(そういった原型も僕の中に少なからずはあるとは思いますが。。。)
これからの私のライフワークは艶やかな”切り花”を求める人生では無く、大地に根を張る球根のような人生求めるていきたいそう思っています。
そして残りの折り返しの人生は少しでも人のお役に立てる様なライフワークを生きたいと、ムヒカ氏の姿にインスパイアされています。
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