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老荘思想「道(タオ)」〜算命学の原点〜

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算命占技は老子の教えを思想原理としています。算命占技は何よりも老子の哲学を充分に理解する必要があり、老子の教えは算命学の根のようなものです。老子は戦国時代に活躍した「道家」(道教)の祖で「易」の理論体系を作った「孔子」が、「老子」に「礼」について問うたことことがあると伝承されています。「荘子」や「列子」たちが「老子」の思想を継承したので、老子の教養は「老荘思想」とも言われるようになり、後に「道教」の理論的支柱となり、中国民衆の間で広く信奉され、算命占法の根本原理となり「思想学」へと発展していきました。

老荘思想の核心は、世間の相対的で表層的な現象にとらわれず、生命の根源にかえりそれらを深く取り込み、絶対的な宇宙(道)とと共に、無為自然に「命(メカニズム)」に従って生きることと伝えられています。


目次
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木鶏

荘子」「列子」に面白い話が記されています。
紀渻子(きせいし)という人が、斉(さい)の王に為に闘鶏を飼っていました。

十日して王が尋ねました。「どうだ、もういいか?」
「いや、まだです。実力もないのに驕りたかぶり、我こそはと気負い立つ最中です。」
十日後、王がまた尋ねました。「もうそろそろいいだろう。」
「まだいけません。空威張りしなくなりましたが、相手を見たり鳴き声を聞いたりするだけで、まだ反抗します。」
さらに十日経て王が尋ねると、
「いや、まだまだです。この野郎とばかり、憎々しげに相手を睨みつけて、傘にかかるところがあります。」
その後十日して、やっと紀渻子が答えます。
「もうそろそろいいでしょう。相手の鶏がいくら声を張り上げて闘いを挑んでも<己、変ずること無し>で、一向に平気で普段と変わりません。<之を望むに木鶏(もくけい)に似たり、其の徳全(まった)しです。(遠くから見ると木で作った鶏にようだけど、渾然とした純一無雑な元気を自ら内に深く保って、もはや外の一時的な刺激に動じなくなる様)相手は敢えて闘いを挑むことはできず、走って逃げ帰るだけでしょう」

これは闘鶏になぞらえて宇宙と生命体(人間)の最も根源的な姿(渾然たる元気を内にたたえながら宇宙の創造活動に冥合して、無為自然に生きる姿)について語ったものです。
 このようになれば、もはや、一時的な刺激に自分自身を見失ったり、物事に一面にとらわれて人と対立することもなく、心の統一を維持して、安定します。人は本来生まれてきたら筈です。『荘子』に「天地我と共に生(ながら)えて、万物も我と一なり」とありますように、宇宙の創造活動そのものとして生きてきたのです。


「混沌」

荘子」の「応帝王」にて、生命の創造的な統一活動を維持する為には、五感にもたらす皮相な感覚や浅薄な知覚に影響されべきでない。と諭す逸話があります。『混沌』です。

 南海の帝を儵(しゅん)といい、北海の帝を忽(こつ)といい、中央の帝を混沌といいました。儵と忽は、たまたま混沌の地で会おうことになりましたが、混沌はこの二帝を大変手厚くもてなしました。そこで、儵と忽は混沌の徳にどう報いるかを相談します。そして、人にはみな目や耳や鼻や口など7つにお竅(あな)があって、美しいものを見たり、楽しい音楽を聴いたり、息をしたり、あるいはおいしいものを食べたりしているのに、独り混沌にだけはこの七竅(しちきょう)がない。だから竅を掘って混沌の徳に酬いることになりました。ところが、毎日一つづつ掘って七竅が備わった七日目に、混沌は死んでしまいました。無為自然に生きる混沌の徳に報いようとして、二人の帝はかえって彼の死を早めてしまったのです。目や耳や鼻などの皮相な感覚や知覚の作用にとらわれて、余計なこと(有為)をしたばかりに、もっとも大切な根源的なもの(感覚や知覚がもたらす無限に複雑な内容を統一して、無意識の内に営んでいる自由無礙(むげ)な創造活動)を乱し、ついに混沌を死なせてしまったのです。
 
西洋の学問では、感覚や知覚を通して得た経験や学習によって、人間の意識が発達するとされ、分析的・評論的な思考作用が重視されがちです。
しかし、老荘思想、東洋思想では、感覚や知覚はむしろ根源の元気を損ないかねない、生命の二次的、末梢的な作用として、これに頼りすぎることを警戒してきました。それよりも、知覚や感覚を生み出す「元気」そのものにこそ着眼し、その元気と一体化し取り込んできたのです。一切のものを生み出すこの根源の「元気」こそ、老子が「道」と名付け、「無」といい、あるいは「虚」や「一」などと呼ぶものです。儒家に「天」といい、易家の「太極」といい、仏家の「空」というのも、「道」の同義語です。
 従って人間において、「根源の元気」、つまり、持って生まれた素質と能力(命)に、順って、無為自然にありのまま生きることこそ、「道」に即しているのです。そして、この様な生き方を体得することに東洋占星学・算命学・占法の原点があり、本来の意義も自己の命を知り、自らの素質や能力を最大限に開花させるにはどの様に生きれば良いかを自覚し、それを実践することにあります。


「天下の母」

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「道」について、老子自身、『道徳経』第二十五章で、次の様に述べています。
「物有り混成し、天地に先立ちて生ず。寂たり蓼たり。独立して而も改ず、周行して而も殆うからず。以って「天下の母」たるべし。吾其の名を知らず、之に字して「道」と日う。」宇宙の創造的な活動といい、万物の根源的な元気とでも呼ぶもの、それは、具体的に指し示すことはできません。天地に先立って、寂たり蓼たりで、声もなく、姿も形もなく、それでいて宇宙の一切のものを内に含み、一切のものの内にあって躍動しています。

「元気」、それはまた、天地に先立ってある、純一無雑な創造活動そのものであり、自立自廉・独立独行で、何かに頼ったり力を借りたりすることのない、絶対的なものです。従って、何処でどう動こうが、どこに行こうがいくまいが、危ういということは全くなく、しかも宇宙にあまねく行き渡って、滅ぶことがありせん。

天地に先立って生じ、万物を生み、養い育み、成長させながら、万物を包み込んでいるもので、それは「天下の母」であり、すべての元です。私たちは、それを何と呼び、何と名付ければ良いかわかりません。しかし文字を借りて「道」と呼ぶことができます。

私たち人間は、この創造活動、つまり「道」に一部であり、「道」そのものですから本来、私たち自身も「道」に即してこのように全てを生み育て、それを包み込む、「宇宙の一部」でなければならないことを、老荘思想が教えてくれています。




「不言の教え」

老子はまた、本源的な生命の統一活動を保持するためには、一般に世間で考えられているような、美・醜・善・正・邪・吉・凶・運・不運などと行った相対的な価値観にとらわれる事なく、自由な立場に立って無為自然に生きるべきだと「道徳経」でも解いています。人はこれが美しいとか、あれが善位だとか、色々と自分で判断してはそれに固執するものです。しかし何かを美しいと断定すれば、他のものは美しくなかったり、あるいは醜いということになります。元来、宇宙に存在するもので、宇宙生成の根源的な力を宿さないものは何一つなはずなので、排除し否定するものが一つとしてありません。しかし、このような分別をしていくと色々な事を排除することになって、そのこと自体が既に悪になります。
老子は、ものを美しいとか醜いとか区別し、相対化すれば、そのこと自体が自然の働きを否定することになり、悪いことであると指摘しています。
美しいといっても上下度合いがあり、比較のしようによっては美しかったはずのものが不美になります。美や醜は比較対象と時代の好みによって変わる相対的なものに過ぎず、それは善と悪(不善)についても同じです。有と無、難と易、長と短、高と低、前と後など、物事を相対化する事すべてに当てはまります。
それは、私たちが日々の生活で何かをしようとするときにも当てはまります。
 「道」を体得した人は、この有無相対の世界で、限りある浅薄な狭い自分の知識で小細工や小径を労す事はしないで、自分の本性にしたがって、無為自然に、あるがままに生きます。これは無意識の世界であり「不言の教え」を行うことと同じ事です。

「聖人処無為之事、行不言之教」
(道にしたがう賢者は、よけいな振る舞いをせず言葉に頼らない教えを行うものだ)



「道」無為自然に生きる

算命学が人間の資質や能力についての優越、善悪を云々しないのも、この老荘思想に基づいているからです。老子は「道徳経」の冒頭を「道の道とす可べきは常に道に非ず、名の名とす可きは常に非ず」という書き出しで初めています。これを「道」だと名指してしまうと、その「道」以外にもう行けなくなってしまいます。そうなればもはや「道」そのものではなくなります。人間を含めた万物は本来、無為自然な創造活動です。ふたつの道が定まり、それが固定化してしまうのは、その段階で本来の生命活動に制約がなされている状態であり、本来の力を発揮できず、真の道を失ってしまうことだと、老子は示してくれています。名称も同じ、すべて一時的な仮のものに過ぎないのに、一度名がつくとそれに執着が始まり、名付けられた事、人、集団などの本質が余計に分からなくなってしまいます。人は名や分別を超えて、初めて宇宙の創造的活動そのものになり、無為自然に生きる事が出来ると教えてくれています。




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