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「十二大従星」の「天堂星」の意義

☞「天堂星」の概要

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算命学の十二大従星の「天堂星」は「発展段階の最後」「生命の発展・高揚が最盛期を過ぎた状態」のエネルギーを持つ星です。
「天堂星」は別名「長老の星」とか「陰居の星」といわれます。

目 次
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「天堂星」の意義

「天堂星」の特徴

隠居の星
  • 第一線から退いいた時代。
  • 精神的に落ち着きがある。
  • 自制心がある(大人風・老成風)
  • 引っ込み思案に見られやすい。(無理に前に出ていく必要が無い。)
現実と精神のバランスが良い
  • いずれにも隔たらない判断ができる。
  • 相談役に向く。
  • 現実と精神のどちらにかに隔ってしまうと運勢が下がってしまう。
「現実面と精神面の両方をほどほどに大事にした選択をすることが大切」
  • 出しゃばったり、口うるさいと人から嫌われてしまう。
  • 相手から求められて、答えてこそ良い相談役となれる。

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「老人の星」

天堂星は老人の星です。人生の栄枯盛衰の中で、衰の時代にさしかかった時代です。人生の大半を過ごし、頂点をすぎ下りに入っています。肉体は衰え始め、精神は枯れていきます。心静かに余生を送る隠居時代です。人生への悟りの境地です。老境がもたらす、落ちついた爽やかな理性であり、知性となります。落ち着いた知性は行動にも現れ、容易に動こうとしません。それが正常となれば引っ込み思案で、自制心を備えた態度、出処進退をわきまえた行動となります。それは他の人に迷惑をかけることを嫌う態度にも出て、何事も自分で行おうとし、黙々と行うことから無言の行動となります。無言の行動は人間との交流よりも、自然との交流を好むようになり、動物や植物を好きになったり、芸術の世界に没頭するようになります。さらに、無形のものへの憧憬となり、思想、思索、哲学、宗教などの精神世界に入ります。それは無の世界へ自分を置こうとする自然の姿なのです。

「有意識の星」

天堂星は有意識の星です。無の世界へ導く姿は有の中で求めているもので、「有中の無」と言えるものであり、有限の中の無の追求になります。それは肉体が衰え精神が枯れてきて、初めて出来るものであり、他の星には真似できなことです。有中の無を追求することは、肉体の一部や手足が衰えて機能を失って行くのを精神の枯れと共に、心の中にきざみつける姿ににて、そこに薄皮を剥ぐように無の境地が現れます。それは人間としての悟りの境地でもあります。

交友関係

その境地が、こだわりを忘れた人生観となり、老若男女の差別を抜きにした心の交流となります。若くして老成の風を見せるかと思えば、おいて幼児のような無邪気さを見せ、子供から老人にまで好かれます。しかし、無言の世界が無愛想の性格になりやすいので、本当に理解されるには長い年月を必要とします。そして、理解されれば交際は死ぬまで続きます。交際範囲が広くなる反面、長く交際できる友人は限られます。

「有中の無」

有中の無の追求は、現実と精神のバランスの中には無の世界をすることであるため、現実と精神のバランスを見る目は確かなものであります。議論をする場合でも進んで発言することは少ないが、意見を求められれば、全体的な観点と双方のバランスに合う発言をし、最終的なことを主として、まとめます。したがって、物事に対処する姿も、外見より内容、現実より精神を重視し、しかも、現実に合う判断を下します。それは極端に精神や現実に偏るのではなく、現実に立脚しながら精神を優位に考えます。現実と精神の接点を探し、ギリギリの線まで追求します。現実の中から、精神を求める修験者に似ています。寒中に滝に打たれながら、悟りを開く境地のようなもので、有は有と認めながら無をを求める状態であり、有の極限を追求する姿でもあります。

性格

有中の無が追求できなけば、天堂星の良さが出てきません。有中の無を人間関係の中で求めれば、有を集団、無を個人と考え、集団の中の自分を知り自分を無にすることであります。それは集団に同化する自分であっても良いのです。そのためには、集団生活をすることが大切であります。有中の無を追求の追求ができなければ、現実と精神のバランスを見極められないことになります。どちらかに一方づき、性格も温厚さがなく、ギスギスしたものになり、自己中心の人間となります。自分は老人なのだから、回りの者が面倒をみてくれて当たり前であるという性格となり、老人であることを特権と思い、老人特有の利己主義の固まりとなります。

集団の中の無

集団生活の中で自己を無にすれば、自然と自制心と備えた人間性となり、自制心は現実と精神の調和を計り、自制心故に、精神的優位に落ち着きます。その時は、老いても老いを感じさせず、爽やかな、さっぱりとした人間性となり、誰からも好かれます。自制心を備えた人間性となれば、山野にう咲く一輪の花のようなもので、その花がなくても景色に影響がないのに、花が無いと間が抜けたようになるのと同じで、その人がいなくても体制に影響がないのに、実際にいないと困ります。舞台で言えば、脇役で、その脇役の演技次第で主役が生きます。そのような存在状態が集団の中で自己を無にすることであります。

無の境地

集団の生活の中での自己も無を全うするためにには、早くから教養の積み重ねが必要であります。教養を積み重ねれば、精神や無についての勉強を特別しなくても、無に対する意識が自然に備わり、有中の無を身につけることができます。功成り名をあげた人の心境のようなもので、世の中や現実を達観した精神状態であります。しかし、神や聖人になろうとするのではなく、あくまで人間として無の境地を開こうとする姿であります。それは冷たい滝に打たれる修験者のようねもので、精神と肉体が許す限り、ぎりぎりのところまで追求して行こうとするもので、厳しく辛く気高いものであります。精神と肉体が許す限り、ギリギリのところまで追求して行こうとするもので、厳しく辛く気高いものであります。それは、考えようによっては自然と対峙して、自然に挑戦を挑んでいる姿にも見えるし、自然を恐れない人間のようにも見えます。

それだけに、どれだけ努力を重ねても、すぐに評価を得ることが難しく、遥か遠い時代になって価値が認められることがあるかも知れません。そこには、無心の境地に入って努力している姿があるだけであります。いずれにしても、有中の無を追求する世界、それが「天堂性の世界」になります。


「十二支」の「未」

十二支では「未(び・ひつじ)」を備えています。

「五行大義」では「未」は眛(まい・くらい)で、「陰気が既に生長して万物が少しずつ衰え始め、その形相や状態(体)がすっきりしなくなる(曖昧)こと」書かれています。

  • 「史記」は「万物が成熟しきり死期に到り、林のように群がり立っている様を表す」と言っています。
  • 「白虎通」「漢書」には「万物が成熟して滋味(深い味わい)ある」と書かれています。

活動的な「陽」の活力が衰え始めたのに相応じて、静かで穏やかな「陰」の気が生長して、陰陽相い応じ相待(たの)みあって(陰陽相待)、バランスの取れた中で、まだ活力を保ちながら後退していく姿を表しています。

肉体が置いていくる時期に、肉体のバランスが保てるようになり自己のエネルギーが「美」となって燃焼され、肉体が最強である時よりも、弱に転じるところに美があり、その美は「物事の後始末や処理能力」にあるとも言われています。

静かで穏やかな、バランスのとれた状態の中で、活力を保ちながら後退していく、ちょうど爽やかで涼風が吹き始めた晩夏の夕暮れの様を表します。
「陰陽相い待(たの)む静穏でバランスのとれた時間」を意味します。

⭐️星からのメッセージ(天堂星)

  • 現実面・精神面の両方をバランス良く選択する事が重要
  • 出しゃばったり口うるさい姿勢は注意!!
  • 相談役に徹する
  • 物事の後始末をつける
  • 静穏な時・調和とバランを図る

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