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「道(宇宙)」と「陰陽」

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ビッグバン - Wikipedia

古代人達は自然の偉大な力を現代人よりもずっと身近に感じていました。自然の法則を知ることが、宇宙の創造活動いわば宇宙の創造主、造化(天地に間に存在する万物を創造する存在)あるいは「道(タオ)」の意志を知ることであり、その自然法則にしたがって生きることが最も幸せであると考えたのです。宇宙の創造活動は一体どのような形で営まれているのでしょうか?

目次
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「道」と「生命活動」

日常私たちが眼にする木や、太陽、土、金銀、宝石、水、動物、さらには自分自身、どのよう様な「道」という活動によって生まれ、そして成長しているのでしょうか?
 木の生命サイクル<発生・成長・収斂(しゅうれん)・閉蔵>を例としてあげてみます。木は春に芽吹き(発生)、暖かさが増して陽光が強くなるにつれて枝を張り、梅雨期に繁茂し(成長)、夏の最盛期を過ぎて、秋には実を結びます。(収斂)。
そして冬には活力を根に蓄えます。(閉蔵)私達はこの四季を通じる木のライフサイクルをみで見て確かめることができます。その間、木は私達の目に見えない時に、照りつける陽光を浴びて光合成を行い、どんどん養分を創り出して、それを幹や根に送り込んで、たっぷりと蓄えます。そして養分を蓄え切った秋には不要になった葉を落として、冬の休息に入って翌春の萌芽(ほうが)に備えます。
この冬にこそ、木は生命力を最も蓄積しているのです。この枝葉を繁らせる活動を「陽」とし、養分を蓄える働きを「陰」とすることで、木が「陽」と「陰」という「道」そのものである二種類の働きによって創造活動を営み、成長していると理解できるのです。



「宇宙」と「人の在り方」

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 (老子道徳経 - Wikipedia)

老子は「道徳経」(第四十二章)において、次のように述べています。

「道は一は二を生じて、二は三を生じて、三は万物を生ず。万物は陰を負(お)いて陽を抱き、沖気(ちゅうき)以って和を為す。」

「一」は「道」であり、「二」は「陰」と「陽」の「道」の二側面であり、そして「三」は「陰」と「陽」の働きが「和合」して新たな宇宙の創造活動となり、万物が生成されて行く。と示しています。


これは「道徳経」の中で最も有名な句です。陰・陽が哲学の概念として世界で初めて伝えられたことを意味します。古来高名な学者達によって色々と議論されてきました。議論の核心は、「宇宙生成の経緯(宇宙生成論)」か「老荘思想の考え方」のどちらかを述べたのか?と言う点でした。しかし、老子自身は「宇宙の活動が陰陽の交合によって春夏秋冬と変化している中で、一切の存在が四季の変化に応じてどのように自らの創造活動を営んでいるのか?」という、宇宙の生成と共に人間の存在の本源的な在り方を伝えています。


また、「淮南子(えなんじ)」*1には老子の「道徳経」(第四十二章)を下記の通り言い換えています。

「道は一に始まれど一にして生ぜず。故に分けて陰陽となす。陰陽和合して万物生ず」
「陰陽」は「道」そのものの働きをいうもので、「道」から「陰」と「陽」が生まれるのでは無いと示しています。



「陰」の重要性を説く

「道徳経」(第四十二章)最後の句にて算命学において最も重要な事は示しています。

「万物は陰を負(お)いて陽を抱き、冲気以って和を為す」

これは「老荘思想」が「陽」よりも「陰」の重要性を解いている事に他なりません。


「万物が陰を負いて陽を抱く」とは、木に例えれば養分を根幹に蓄えるための活動(陰)があって、初めて木が翌年成長し、枝葉を充分に繁らせる事(陽)できる。目に見える表面的な生成・繁茂の姿よりも、表面的にはわからない、養分を含蓄するという裏にある見えない働き、つまり、「陽」に対して「陰」こそが大切であると説いているのです。


「冲気を以って和を為す」の「冲」は自らを虚しくし、無私になって和(なご)むこと、人間でいえば、「私が、私が!」と言う自意識を強めるのでは無く、自分を虚しくして無為自然になって和合することを意味します。


陰陽和合

「陰陽和合」という宇宙の創造活動は、何のためにとか、何かのためとかでは無く、原因もなく、目的もなく、あるがままに、虚心に坦々と行われています。私たち人間も自然の一部であり、自然そのものであります。さらには宇宙の一部であり、小宇宙そのものであります。故に無為自然*2にあるがままに生きる事は、「道」すなわち「陰陽」の在り方を受け入れる事に等しい事なのです。


無為自然

万物が「道」に順(したが)って生きていくのに基本となるスタンス(立ち位置、ありよう)が「無為自然」です、

『道(みち)は常(つね)に無為にして、而(しか)も為(な)さざる無し』
(道はいつでも何事も為さないでいて、しかもすべてのことを為している。)




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*1:淮南子前漢(前179年頃)の王族である劉安によって編集された老荘思想を統一化した雑書

*2:無為自然:人間にとって「どう生きるべきか」の指標となるものです。「自然」は「自(おの)ずから然(しか)り」、他からの影響を一切受けることなく、大昔からそれ自体がそのようであるさまを意味しています。「無為」はというと「なんら作為をしないこと」という意味になります。つまり「無為自然」は「なんら作為をせず、あるがままの状態」をいいます。